テラヘルツ・ヘテロダインセンシングの開拓に向けて


1.テラヘルツ帯での観測目標

 テラヘルツ帯は波長が 0.3 mm以下(周波数が 1 THz以上)の電波を指します。 私たちがこれまで取り組んできたサブミリ波よりももっと短い波長です。 ちょうど電波と遠赤外線の中間に位置し、天文学において未開拓の波長域の1つになっています。
 テラヘルツ帯には基本的な原子、イオンの微細構造スペクトル線があります。 特に、窒素イオンの3P1-3P0遷移 (1.46 THz)、 炭素イオンの2P3/2-2P1/2遷移 (1.90 THz)、 および酸素原子の3P0-3P1遷移(2.06 THz) が重要なスペクトル線です。 また、テラヘルツ帯では CH, H2D+, HD2+, OH などの基本的分子の回転スペクトル線や炭素鎖分子 (C3H など) の変角振動の振動回転スペクトル線を観測することもできます。 これらの観測により、星間雲の物理状態や運動、また化学組成を詳しく調べることができると期待されます。それらをもとに、星形成・惑星系形成に至る物理進化・化学進化について理解を深めることを目指しています。

 当面の観測目標は1.3-1.5 THz帯です。 そこには、窒素イオンのスペクトル線のほか、CH (1.48 THz), H2D+ (1.37 THz), HD2+ (1.48 THz) のスペクトル線が含まれます。 窒素イオンのスペクトル線はプラズマガスを選択的にトレースするため、 原始星近傍のプラズマ領域を調べるのに非常に適しています。 CH は星形成から惑星系形成に至る過程での有機分子の形成と進化の鍵となる分子であり、 その観測は化学進化の理解に不可欠です。 また、H2D+, HD2+は重水素濃縮現象を支配する分子 であり、それらの観測は星形成領域、惑星系形成領域の重水素を含む分子の挙動の理解に非常に有効です。 これらの理由から、この周波数帯域を選んでいます。

 これらのスペクトル線の周波数は、ちょうど大気の「窓」にあたっており、地上からぎりぎり観測できます。しかし、チリのアタカマ砂漠の高地(標高 4800 m)でさえ、透過率は最も良いときでも 20 %程度にすぎません。そのため、高感度の観測装置がどうしても必要です。 私たちは、テラヘルツ帯で動作する高感度のヘテロダインミクサを開発し、 ASTE (Atacama Submillimeter Telescope Experiment) 10 m 望遠鏡に搭載して観測することを計画しています。これによって、サブミリ波天文学から抜け出し、新しくテラヘルツ天文学を切り開きたいと思っています。将来的には、スペースからの観測も視野に入れています。


2.テラヘルツ帯のヘテロダイン検出器−ホットエレクトロン・ボロメータ・ミクサ

 周波数が低いミリ波、サブミリ波帯では、ヘテロダイン検出素子として SIS (Superconductor Insulator Superconductor) ミクサが広く用いられています。特に Nb を超伝導物質に用いたものは高い性能を発揮し、量子雑音限界の数倍に達する性能になっています。私たちが運用してきた富士山頂サブミリ波望遠鏡でもこの SIS ミクサ素子を用いていました。しかし、SIS ミクサ素子は周波数が高くなると超伝導物質自体による吸収のために損失が増大し、性能が著しく劣化します。その限界周波数は超伝導ギャップエネルギーの 2 倍にあたり、Nb では 700 GHzになります。高い周波数で使えるためには、超伝導ギャップの大きい(すなわち転移温度の高い)超伝導物質を用いることになり、たとえば、NbN や NbTiN などでは 1200 GHz 程度まで使えることが期待されています。しかし、それでも私たちが目標とする 1.46 THz には届きません。そこで、私たちが開発しているのは SIS ミクサとはまったく異なるタイプの素子、超伝導 HEB (Hot Electron Bolometer) ミクサ素子です。
 超伝導 HEB ミクサ素子は超伝導体による電磁波の吸収を逆に利用し、ヘテロダインミキシングを行うものです。図2にその原理を模式的に示します。図2のような微小な超伝導細線に電磁波を入射すると、そのエネルギーが吸収され細線の温度が上がります。その結果、細線の一部の超伝導状態が破壊されることになります。いま、局部発信信号と天体からの信号を同時に加えると、その電力は両者の周波数の差の「うなり」周波数で変化します。従って、超伝導状態の破壊の程度も「うなり」周波数で変化するので、バイアス電流の変化として「うなり」周波数成分(中間周波信号)を取り出すことができるわけです。こうして低い周波数に変換された信号は、十分増幅された後に電波分光計によりスペクトル分析されます。
 このようなことが可能であるためには、「うなり」周波数の周期よりも速い時間で超伝導細線を冷却し、もとの温度に戻してやる必要があります。即ち、電磁波の吸収で生じた熱電子(ホットエレクトロン)を何らかの方法で効率よく逃がさなければなりません。その方法には大きく分けて2つあり、それによって HEB ミクサは2つに大別されます。一つの方法は、熱電子を拡散によって電極に逃がす方法です。これを拡散冷却型と言います。Nb や Al のような電子格子相互作用が比較的小さい物質に有効で、この場合、冷却のタイムスケールは Nb の細線長と電子の拡散係数で決まります。第二の方法は、熱電子のエネルギーをフォノンのエネルギーに変え、最終的に基板に逃がす方法です。これを格子冷却型といいます。NbN や NbTiN などの電子格子相互作用が大きい物質に有効で、冷却のタイムスケールは主に超伝導体の厚みとフォノンの拡散速度で決まります。そのため、厚みは数 nm 程度にする必要があります。世界的には高抵抗 Si 基板上にエピタキシャル成長させた NbN を用いた格子冷却型の HEB ミクサ素子が主に研究されています。私たちは天体観測を念頭におき、究極的に高い性能が期待できる Nb を用いた拡散冷却型の HEB ミクサと、NbTiN を用いた格子冷却型の HEB ミクサの開発研究を進めています。

図2 超伝導HEBミクサ素子の構造。(a)は高周波入力がないときの電流―電圧特性を示す。
(b)は高周波入力を加えたときの電流―電圧特性で、超伝導が破壊されていることがわかる。


3.超伝導HEBミクサの開発研究

 超伝導HEBミクサ素子を実現するには、100 nm スケールのマイクロブリッジ構造の形成と、100 nm 以下の誤差でのパターン合わせの技術が求められます。それとともに、必要な超伝導物質や電極材の薄膜を高品質に作成する装置が必要です。また、作成した素子を加工するための様々な設備も用意しなければなりません。これらの目的のために、私たちの研究室では、研究室内のクリーンルーム、武田先端知ビルのクリーンルーム、およびビッグバン宇宙国際研究センターのクリーンルームに、電子ビーム描画装置、複合成膜装置、ICP ドライエッチング装置、UV マスクアライナー、研磨機を導入し、素子製作のすべての過程を行うことができるようになっています。
 これらの装置群を用いて、Nbを超伝導物質に用いた拡散冷却型の HEB ミクサ素子、および NbTiN を用いた格子冷却型の HEB ミクサー素子の製作ができるようになりました。図3に示すように、それらの直流特性は HEB ミクサ素子に特有の非線形性を示し、800 GHzの信号入力に対して鋭敏に反応します。これらの素子を導波管マウントに装着し、機械式冷凍機で 4 K 程度に冷却して、800 GHz において受信機雑音温度を測定したところ、Nbを用いた拡散冷却型HEBミクサ素子で 3000 K (DSB)、NbTiNを用いた格子冷却型 HEB ミクサ素子で 500 K (DSB)の性能が得られています。特に、後者は NbTiN を用いた導波管型のミクサーとして世界最高レベルの性能です。
 このように、本研究室で高性能の HEB ミクサ素子が製作できるようになっています。一層の性能向上を追及しながら、1.5 THz 帯の受信機の実現への努力を進めています。

 

図3 製作した拡散冷却型HEBミクサー(左)と電流―電圧特性(右)


図4素子製作に使用している装置
複合成膜装置(左上)、電子ビーム描画装置(左下)、ドライエッチング装置(右)

4.最近の研究成果



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