日記
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2006年10月22日(日)
「非摂動論的効果」の意味が少しだけ分かった気がする.
でも意味不明だ.
Matrin 6,7章
諸井さん
The Early Universe 6章(Sphaleron含め)
藤井さん
2006年10月19日(木)
岩波公式集の威力を痛感した.
てらかんよりも, 共立の詳解数学演習よりも, 岩波だ.
しかし, 微分方程式の解も覚えていないとは...
少々いじっているうちに, Christoffel記号やら共変微分やらの扱いに慣れてきた気がする.
しかし, Baryogenesisについてもそろそろ考え始めねば...
2006年10月15日(日)
某友人が最近話題にしていることについて考えてみる.
それは, 「なぜ自然科学を研究するのか?」
彼自身は
「自然科学の研究をとおして人類文明に大きな貢献を与え得るから.
人生を賭する程の価値を感じたから.
そして, そこに自分の能力を費すに値する価値を見出したから. 」
と, 言っている.
それに対し, 別の友人にこの問を投げかけたところ,
「おもろいから」
という言葉が返ってきた.
先の友人も, 理学を志す友人, 知人の中にそういう返事をする人が少なくないことに気づき, 驚き, 唖然とした, と言っていた.
では, 自分がその問を投げかけられたときにどう答えるか考えてみる.
「自然を誰よりも深く知りたいから.
今はそれが他人や社会に与える影響があるのかないのか, あったとしたらいかなるものなのか, 見えない.
でも, その道を邁進することにより, 必ずやそこに自己満足を越えた何かが結果として付いてくることを信じている. 」
今はそういう風に考えている.
幼稚園, 小学生のころから, 物理や天文に興味があり, それを研究する人に憧れを抱いていた.
そしてそのために必要な能力が自分に備わっていることを否定しきることが今まで出来ていないから, 諦めずにその道を目指している.
他人のためになるかどうか?
社会貢献になるのかどうか?
これは職業選択の際に, 人が少なからず考えるべきテーマではあると思う.
たしかに自然科学研究には, 目に見える貢献は他の職業に比べて少ない.
しかし, 過去の電磁気力の発見, 相対論の発見, 量子力学の発見が今の自分達の生活にどれほど役に立っているか.
それを考えたとき, 自然科学研究がなんの役にも立たない, ということはないだろう.
しかし, それと, 「自分が自然科学を研究し, そのなかでもあるひとつのテーマを選ぶ理由」は別問題になる.
自分にその能力があるかどうか?
自分の選んだテーマが如何に社会貢献と結び付くのか?
それは, 今は分からない.
だけれども, まずはやってみないことには何も言えない.
だから, 自分は今この道を進んでいるんだ.
これが答えになる.
と, なると, 自分が自然科学を研究する理由は「社会貢献になるから」では無く, 「自分が社会貢献になると思っていて, だからこそやりがいがあるから. 」になる.
人それぞれ, 自分がその職業を志す理由は様々だろう.
でも, その根底を遡ってみると, 答えは
「自分がやりがいを感じられるか」
になるのではないか?
人の動機はそういう意味で, 何の変わりもないと思う.
結論として, 自分は「社会貢献のため」とか, 「他人のため」という言葉は他人に対して口に出すのは避けるべきだと考える.
ひとつは, 上で述べたように, あくまで根底には自分の意志が入っていること.
ひとつは, 自分が社会, 他人のためと思っていても, それが本当に社会, 他人のためになっているかどうか分からない, ときに自分の思いと裏腹に他人にとってもっともして欲しくない行動になっている可能性があること.
少なくともこのことは常に頭の片隅にとどめていくべきことである.
「他人のために行動する人間は, 何かあったとき他人を言い訳にしてしまう人間なんだよ. 」
どこかで昔読んだセリフである.
このことが常に正しいとは思わないし, そうであってほしくない.
でも, 自分が常にそうでないと言い切れるか?
そう思ったとき, 「他人の思いやっているのは, 自分の自己満足にすぎないのではないか?」と省みることは必要であろう.
もう一つ, いい研究をする人間はどんな人間だろうか?
必ずしも社会のことを思っている人間が必ずしもいい研究をする人間ではないと思う.
例えば, 音楽家を考えてみる.
音楽を真摯に愛する心を持った人が素晴らしい演奏を奏でられるのだと思う.
少なくとも
「自分の演奏を聴いた人が幸せになってくれるから. 」
となどと公言できてしまう音楽家が聴く人の心を打つかどうかには疑問を呈したい.
自然を愛する心, 自然を知りたいと思う心を持った人, 自然に対して真摯である人こそが良い研究をできるのではないか?
俺はそう考えている.
自然科学者が, いやもっと一般に人が, 評価されるのは, 「何をしたか」であり, 「なにを動機にその行動をしたか」では無い.
自分が面白いと思って結果社会貢献になるような研究をする人と, 社会貢献になる研究をしようと思って結果社会に大きな損害を与えるような研究をしてしまう人とでは, 前者の方が評価が高い.
動機に関して言うならば, 動機自体が問題なのでは無く, その動機のために, 自分が妥協無く真摯に取り組めているかどうか.
だと思う.
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昨日サークルの先輩の結婚式があった.
二次会, 三次会に参加.
幸せな生活を送ってくださることをお祈り申し上げます.
ところで, 三次会で行った飲み屋に「一粒の麦」という焼酎があり, それを飲んだ.
生産者は何を思ってそう名付けたのだろうか?
気になるところ.
「一粒の麦」になりたい, とは言わない.
「一粒の麦」になるべく日々を真直に生きていきたい.